1987年3月B日

ベルギーやオランダのような曇り空はないが、ここデユッセルドルフでも最低気温はマイナス2度、3度を上下するばかり。風は冷たい。
ここでオレはヒッチハイクを諦めることにした。というのも、アテネまでまだ千数百キロもあり、国境を何度も越えてどうしても時間がかかり、下手をすると1週間ほどはかかるだろう。
宿泊費も食費もかかるし、途中でもしカゼでもこじらせるようなことでもあれば、一発でサイフの中はカラッポになってしまうという危惧からだった。
治療の費用が持ち金を越えても日本大使館に駆け込むことはできるが、そのまま強制送還なんてメにも遭いかねない。恋焦がれ、収容所暮らしまで経験して、はるばるやってきたヨーロッパから無理矢理追い出されるなんて、どこの誰が望むだろうか。
昨日のボルボのドライバーが教えてくれた長距離相乗りあっせんサービスをしているミットファーゲレーゲンハイト(Mitfahrgelegenheit)の事務所は、デユッセルドルフ中央駅の裏側から歩いて5分のところにあった。畳十畳ほどの小さなオフィスに入ると、カウンター越しに二人の職員がいた。そして、その向こうの壁にボードが立て掛けてあり、その上に車の行き先と出発日がゴマンと記載されている。
所長らしいオッサンが話しかけてきた。
「×××××××××××××。」(ドイツ語)
「すみませんが、英語でお願いします。」
「OK。どこまで行かれますか?」
「最終的にはイスラエルまでなんですけど。」
「イスラエル!えらいまた遠いところまで・・・・、で、いつごろ?」
「早い方がいいんです。」
オッサンはボードをにらんだ。
「そうですね、明日の夕方にギリシャのアテネ行きの車があるけど、どうですか?」
「アテネ?イスラエルへ行くにはやはりアテネから船に乗るのが1番安上がりですかね?」
「さぁ、よく知りませんが、そうかもしれませんね。あとトルコから船でキプロス経由で行くのと、トルコからシリア、ヨルダン経由の陸回りで行くという手ぐらいが考えられますが・・・・、そんな遠くまで行く車はめったにありませんよ。」
オッサンは丁寧な応対をしてくれる。
「アテネまでで、だいたいいくらぐらいかかるんでしょう?」
「ガソリン代は同乗者の人数によって変わりますから・・・、まあ4人で行くとして、そうですね、120、130マルクぐらいじゃないですか。あとこちらの事務所へ手数料を支払っていただきますが。」
4人で行って、合計150マルクぐらいの出費か。アテネまで千数百キロ。悪い買い物ではなさそうだ。オレはそいつで行く手続きを取った。
「どうもありがとうございます。運転手への電話は今夜7時以降にしてくれということですので。その時に待ち合わせの時間、場所その他を決めて下さいね。彼はいつも私たちを利用しているドライバーですから安心できます。どうぞ楽しい旅をして下さい。」
「どうもありがとう。」
事務所を出て、ホッとタメ息。あっけないほど簡単にオレの西ドイツ出発は明日と決まった。
西ドイツに入って今日でまだ2日目である。はっきりいって、いまこの国を去るのは非常に残念だ。噂通りの幾何学の刺繍のようなドイツの町並みは、混乱の町大阪市南部出身者にとってはまさに驚異であって、ただ一日中歩くだけでさえ十二分に楽しい。
それに北ドイツの町ハンブルグ出身で、アデレード、シドニーそしてバンコクとで会ったアーニャに会うことなく去るのは、さらに残念だ。彼女に会ってまたいろんな話をしてみたいという気持ちは強過ぎるほど強い。
だが、ぜいたくは言うまい。ふところに温かみが戻るまでいまはしんぼう、しんぼう。ドイツとアーニャがこの世から消えてなくならない限り、いつでも帰ってくるチャンスはある。いまはただ黙して去らんとぞ思ふ、と思う。
だが、今度この国へ帰ってきたら・・・、なんて思いにふけることができたのはその日の日中だけだった。
夕方7時過ぎに渡されたメモを見てドライバーの家に電話を入れたが、英語がまったくダメに近いそのオッサンはただ「I don’t go!」,「I don’t go!」を繰り返すばかり。オレは「Why ?」を連発したが、向こうはそれに対して、「Change !」をまた繰り返すだけだった。
なんてこっちゃ。このドライバーは結局アテネには行かなくなったということらしい。ドイツ人は実直な民族だと聞いていたが、これではこっちが騙されたような感じではないか・・・・。
次の日、ミットファーゲレーゲンハイトのオフィスに戻ったオレはあのオッサンに、
「ええ!?いったいどうしてくれるんだ!?」
と噛みついた。
だが、オッサンは一応当惑した表情を見せながらも、”たまにあることですよ。アンラッキーだったですね。”とひと言言っただけだった。
このオッサンのあまりにもケロリとした様子には拍子抜けだ。オレは昨夜から頭がカッカきていたが、このオッサンの顔を見て怒るのがバカらしくなった。
「オレはとにかく早くイスラエルへ行かなければいけないんだ!他に車はないんですか?」
「私のところには、あっち方面はもうありませんねえ・・・。」
オッサンはあくまで冷静である。
「そうですね・・・。ちょっと待って下さい。じゃあ、近くの事務所を当たってみますから・・・。」
そう言うとオッサンは電話器のダイアルを回し、あちこちの他の事務所と連絡を取り始めた。一通り終わるとオッサンは言った。
「ケルンの事務所に、明後日トルコのイスタンブール行きの車があるとのことですが。それでどうですかね?」
「イスタンブール?」
地図で見ると、アテネもイスタンブールもほぼ同じ距離にある。出費もおそらく最高で160マルクぐらいだろう。
「明後日・・・・?で、そのドライバーは信用できるんでしょうね・・・?」
「私どものデユッセルドルフの店ではわかりかねます。あのようなトラブルはそんなに頻繁に起こるものではないんですけどねえ・・。」
このオッサン、よくもまあこれだけポーカーフェイスでいられるもんだと感心する。まあ事務所の人間はただドライバーと旅行者を結び付けるだけが仕事なのだから、このオッサンの仕事以外のことに対して責任は感じないと言っても、それはとがめられる筋合いではないのかもしれない。このあたりの意識の徹底ぶりは日本人には理解し難いところである。
ハラばっかりたてていても仕方がない。ポケットにはもう3百ドルばかりしか残っていないオレには、選択肢もそれほど多く残されてはいない。
「そのイスタンブール行きにまだ座席の空きはあるんですか?」
「まだあるといのことでしたが・・・。」
オレはイスタンブール行きの手続きを取ることに決めた。
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