F-08 オランダから西ドイツへ国境越え

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1987年2月F日

西ドイツ, アウトバーン

 このパーキング周辺の気温はおそらくマイナス10度以下だろう。かなり底の厚いテニスシューズを通しても地面の冷たさが伝わってくる。この風車の国オランダには山がほとんどないためか、遮るものがなく風はめっぽう強い。だんだんと足の裏の感覚がなくなっていくのがわかる。

 そして、2番目の車が止まってくれたのは、足の裏を保護するためそろそろ逆立ちでもして待とうか、とバカな考えが頭に浮かんだころだった。

 ピカピカのBMWに乗せてくれたのは、30代半ばのお父さんと男の子2人。お父さんは英語のわからない子供たちに、オレが話す日本のことをていねいに言い聞かせてやっている。

「日本では車が多いでしょうね?」
「とても多いですよ。だけど道路はオランダの方がよく整っていると思いますよ。」
「そうですか?」
「ええ、日本では工業化の波が非常に早いスピードでやってきたものですから、道路始め社会資本の整備が遅れているんです。人口の割に高速道路もまだそれほど整備されていませんし、われわれの社会はまだまだ成熟していないとぼくは思いますねぇ。」
「そうなんですか・・・。」
「それと、家が狭すぎて、オランダの人々のようなゆったりとした暮らしはしにくいですね。」
「オランダがゆったりしてるって?我々オランダ人は”ヨーロッパの中国人”と言われているんですよ。小さな家に住み、多産の伝統が強く、人口密度が高く、やけにせかせかと働く、というのが、他のヨーロッパ人の我々に対する見方なんでしょうね。日本では、私たちよりもまだ小さな家に住んでいるんですか?」
「はぁ、大都市ではみんなゲットーみたいなところに住んでいますよ。」

 どこへ行っても整然とした町並み、通りから窓越しに見える家々の内側のゆったりとしたたたすまいをこれまでずっと見せ付けられてきた目には、このオランダの住宅事情と日本のそれとを比べる気も起きない。オレは自嘲的にならざるをえなかった。

 フリーウェイ添いのレストハウスで降ろされる。2人の子供たちは東洋人を見慣れないのか、最後まで表情を堅くしたままだった。

 ハラがへったとレストランへ入ってみたが、メニューの一番安いのが7ギルダー(約1,000円)のハンバーガーではどうも食べる気がしない。結局、チョコレートを二つと缶入りコーラを買って外で食べた。

 天気は相変わらず冬のヨーロッパ色。ライトグレーの雲が空一面を低く覆っている。日本の北国でも冬にはきれいな青空を見ることはまれだが、このオランダ周辺ではなお難しい、とはアムステルダムで会った日本人駐在員の話であった。

 実際、道路添いに見える景色も期待していたよりも印象的ではない。パリから今日まで約2週間を過ごしたが、この間スカッと晴れたのは一日あるかないかであった(教訓:ヨーロッパへの旅行をするなら、冬はできるだけ避けるべきだ)。
 再び親指を立て、作りスマイルを送り続けて、次に止まってくれたのは、明らかに脳に障害を持つ25歳ぐらいの男性だった。彼のアウディは一度オレの前を通り過ぎたが、わざわざバックして戻ってきてくれた。彼はただでさえ話しにくそうな言葉を英語に変えて、一生懸命に話す。

「ど、ど、どこまでだぁい?」
「ドイツのデユッセルドルフまで行くつもりなんだけど・・・。」
「オ、オーライ。ま、ま・・、の、乗れよ。」
 彼は軽度の障害を持つが、運転には一応何の支障もないようだ。

「オ、オレはじ、時間があるくぁら、こ、国境まで、お、お、送ってやぁるるよ。」
「どうも・・・。」
「に、日本人かい?」
「ああ。あんたは?」
「オランダ人だよ。オ、オ、オレは日本人に会うのは、は、初めてだ。」

 時速120キロで走りながら、オレの方を振り向きつつ運転する彼の腕はなかなかのものだ。始終、彼の身体は左右に小さな振動を繰り返してはいるが、ハンドルさばきはしっかりとしている。オレはドモリと訛を会わせ持つ、彼の英語の聞き取りに難を感じながらも、国境の手前のパーキングまでのドライブを楽しんだ。

 それにしても、このオランダという国の人々は、会う人会う人みんなよくもこれだけ英語を上手に話せるもんだと感心せざるをえない。フランスではありがとうを言うのに、”Thank you”などとあまり言える雰囲気ではなかったが、ここオランダではオランダ語の”Dank U”よりも、”Thank you”の方がむしろ自然にオレの口から出てくる。謝礼の言葉ぐらいは現地の言葉を使うべきだ、というオレの方針もここでは無益に思えてくる。

 国境の手前からお世話になったのは、30過ぎの西ドイツ人男性が運転するピッカピカの赤いボルボであった。

 国境の審査はここでもいたって簡単。審査官は西ドイツと日本の二つのパスポートの表紙を見ただけで、なかの写真もオレの顔も覗こうとしなかった。

 フランスからベルギーへと入った時も、フランスの出国スタンプをフランス側の審査官に押されただけで、ベルギー側では何の審査もなく、ベルギーからオランダへ入った時も入国審査は皆無だった。

 ヨーロッパ各国の旅行者の「通過国」であるこれらの国では、通行審査などいちいちやってれば、それだけで莫大な支出になってしまうのだろう。そんなものきれいサッパリと省いてしまえ、というのがこれら政府の考え方のようだ。

 ECは1992年にひとつの「地域」というよりひとつの「国」になるのだ、と聞くが、このベルギー、オランダの現在のようなつながりが西ヨーロッパ全体に広がっていくとは、本当に素晴らしいことだ。

 果たして、我が祖国日本が将来そのような外交関係を結びうる国って、いったいどこになるんだろう。地図で見る極東の国々の中から、日本と自由に人の行き来ができるようになりうる国。現在ではちょっとそれは見つかりそうにないと思えるのだが・・・・、

 国境を越えたあと、ボルボはグッとスピードを上げ、時速160キロでクルーズしている。

 そうだ、ここはドイツ。そして、ここは世界にその名を知られた、あの制限速度なしの高速道路、アウトバーンだった。

「やれやれ、やっぱりドイツの高速道路は気楽でいいよ。オランダでは制限速度が100キロだから、いつもパトカーを気にしてないといけないもんなあ。」
「さすがに、みんな早いですねえ。」
「これが、オレたちが誇るアウトバーンだよ。日本の高速道路ってどうなんだい。」
「制限速度はだいたい80キロですよ。」
「80キロ!?いまのオレの半分のスピードかい?」
「日本は何につけても、法を厳しくという方向に向かいましてねぇ・・・。」
「オレも法律が厳しいのはいいと思うけど、最高速度が80キロじゃあ、渋滞が増えるだけじゃあないのかなあ。」

 オレもそう思う。もし日本の高速道路の最高速度が仮に120キロにでもなれば、だいぶん現在の交通渋滞も改善の方向に向かうのではと思うのだが・・・・。

 実際、オーストラリアのパースではフリーウェイをのろのろと60キロぐらいで走っている車に対して、パトカーがもっと速く走るように、あるいはフリーウェイを出るようにとの警告を発したりしていた。

 安全第一を望む日本国民の声を反映させた上で現在の80キロとい最高速度が制定されたのだろうが、低速運行が渋滞やイライラを生み、それが事故の温床になっていることも否めないと思うのだが、これはあまりにも非日本的な考え方だろうか。

「ダダッ広い景色ですねえ。」
「西ドイツの西部地方はだいたいこんな感じだよ。バイエルン地方へ行くと山が多くなるけどね。」
「ミュンヘンの方ですね?」
「そう、ミュンヘンへはもう行きましたか?」
「いいえ、まだ。今日、初めて西ドイツへ来ました。」
「アッ、ソウ。」

 ケッサクな話だが、ドイツ語の「アッ、ソウ」は、日本語の「あっ、そう」とほぼまったく同じ意味・用法で使われる。このドライバーの口から思わず出たこのセリフが、あまりにも日本語っぽかったため、オレは笑いをこらえるのに努力せずにはいられなかった。

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