F-16 ギリシャからトルコへ入り、雪原の中、生まれて初めて左ハンドルの車を運転してイスタンブールへ

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1987年3月F日

眠気, 運転, トルコ

 ギリシャ・トルコ国境で目が覚めた。時刻は朝5時。入国審査官もあくび混じりの対応だ。

 川端康成の小説のような長いトンネルこそないものの、国境を抜けるとそこはただ一面の真っ白な雪原だけが眼前に広がっていた。前にも後ろにも車はなし。対向車もなし。オレたちのベンツはこの真っ白な原野にたった1台。一路東へトルコ最大の都市イスタンブールへと向かった。

「トーマス、疲れただろ?」
「ああ、ゆうべはひどい吹雪だったし・・。」
「ひどい吹雪?そんなにひどかったのかい?」
「ひどいってもんじゃあなかったよ。ケンが寝てから峠を越えたんだけど、よくもチェーンなしで乗り切れたもんだと思うよ。」
「ゴメン。オレ、眠たくて、眠たくて・・・。で、トーマス、運転は大丈夫かい?」
「・・・うん。はっきり言って・・・、少し疲れたよ。」

 やつはこの2日間、特に中年の男性が降りてからは、たった一人で運転し続けてきた。やつの言葉にもだんだんハリがなくなってきたようだ。
「・・・ケン、あんた、国際免許証は持ってるのかい?」
「ああ。よかったら運転はオレが代わるけど・・・。」
「そうかい・・・。でもあんた、最後に車の運転をしたのはいつだい?」
「うーんと、・・・去年の8月にオーストラリアでだけど。」
「ちょっと間があるなあ。」

「それは大丈夫だよ。ただ・・・。」
「ただ・・・?」
「いや、実はオーストラリアも日本もハンドルが右側についていて、道路の左側を走るんだよ。」
「ええっ!?ホントか?」
「ああ。」
「そんなヘソ曲がりはイギリス人だけだと思ってたよ。」
「何言ってるんだい、ハンドルは右にあった方が、運転しやすいに決まってるじゃないか。」
「いいや、左だよ。」
「右だって。」
「左だ。」

 この手のハシにもボウにもかからない議論は、オレたち右ハンドルの国の国民と左ハンドルの国の国民との間では常に起こるものだ。

”だけど、やはり車は右側ハンドルの方が運転しやすいよ。だって、女の子を横に乗せた時、右手を使いやすいじゃないか”とのあるオーストラリア人の意見はかなり説得力があるように思えるが・・・。

「それじゃあ、あんたは今まで左ハンドルの車を運転したことはないってことか?」
「そうなるな。でも大丈夫だと思うよ・・・。」
「ホントか?」
「ああ・・、それに、トーマス、あんたがこのまま運転し続けることの方がはるかに危険だと思うよ。」
「うーん、・・・・そうだな・・・。」

 ということで、オレはこの世界の名車ベンツの運転を初めて預かるという光栄を思いがけずここトルコの原野で手中にすることとなった。
 そして、なんのことはない。トーマスはオレが運転し初めてものの1分もたたないうちに眠りに入っていった。

 無理もない。ケルンを出て今日で4日目。彼は中年男性が運転した時間と休憩時間以外ずっとガンバッて運転し続けてきた。彼は首を前にうなだれたまま、死んでしまったように動かなくなってしまった。

 雪原は果てしなく続いている。木はほとんど生えていない。このあたりの夏というのはどんな風なのか。雪に覆われた大地は一面緑の草原になるんだろうか。それとも、オーストラリアの砂漠のような乾いた土だけなんだろうか。

 はるか雪原の上をトルコの民族衣装をまとった男がひとり、トボトボと歩いているのが見えた。周りには家屋などどこを捜しても見当たらない。この男はいったいどこから来てどこへ行くんだろう。そして、この雪原でいったい何をしているんだろう。

 ひとごとにはたいして関心を持たない自分にも、さすがにこの広大な大地とちっぽけなひとりの人間との対象的な姿にはしばし思うものがあった。ヨーロッパの東の端に近づきつつあるという思いが、いくぶん自分を感傷的にさせているようだ。

 左ハンドルの車を道路の右側で運転するというのは、やはり奇異なものである。マニュアル操作のこのベンツを運転していると、どうしても車が左側の対抗車線へと入りそうになる。対向車がほぼまったくないことも、その理由のひとつなんだろう。一瞬うとうととして目が閉じてしまって、しばらく左側の車線を走っているなんてことも2度、3度。やはり、不慣れなことにチャレンジするのは、心身ともに元気な時にやり始めた方がよい。

 寝不足と左ハンドルの車を右側車線に走らせるという慣れない行為と、見知らぬ原野での走行という悪条件はいやがうえにも自分を緊張させるが、その緊張もとめどなく襲う眠気を押さえ込んでくれるものではない。

 オレはただ車の前方50メートルの地点を見つめながら、距離と戦い、東へ、トルコが誇る大都市イスタンブールへと向かった。その苦しい思いをいやというほど知っている男トーマスはクークーという寝息をたてて、気持ちよさそうに眠っていた。

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