1987年5月L-2日

<首相官邸のサイトより>
オレの周りには、まだ飽きもせず子供たちがワイワイガヤガヤ。みんなオレの顔を真正面からニコニコと見つめている。
そして、ここでその中の誰かが叫んだ。
「Hello, Nakasone !」
オレは一瞬耳を疑った。しかし、周りの子供たちも続いて、
「Mr. Nakasone !」
「Nakasone, Japani !」
「Hey, Nakasone !」
と声をかけてくる。みんなのニコニコ顔は変わらない。
ここでのNakasoneはまぎれもなくいまの日本の中曽根総理大臣のことである。もちろん彼らはオレを中曽根首相だと思っているわけではない。アルゼンチンの人間と会えばマラドーナと声をかけるがごとく、彼らはただその国で最も有名な人の名前をあいさつ代わりに使っているだけだ。
これまで2年以上も旅をしてきたが、外国人から日本の著名人の名前を聞いたことはほとんどなかった。そして、それが明らかに教育のレベルがそれほど高いと思われないこのエジプトで、大勢のごくごく小さな子供たちから聞いたがため、自分にはよけい大きな衝撃であった。
3、4年前だったか、テレビで日米のジャーナリスト50人ずつをスタジオに呼んで衛星中継討論会みたいな番組をやっていたことがあった。そしてその場の米側ジャーナリストのただの一人でさえ当時の日本の総理大臣が誰だか知らなかったことを思い出す。
米側ジャーナリストは、オーヒラか?とか、フクダか?とか半信半疑で答えていたが、50人のうちのまったく誰一人として当時の鈴木首相を当てられなかったことに対して、自分は情けないやら、腹立たしいやら、非常に大きな落胆をしたものだった。あの時ほど日本という国の国際政治の場での影響力の小ささを思い知らされたことはなかった。
それがこの遥かなるアフリカ大陸の国エジプトで、しかもごく普通の子供たちが突然、異口同音にわが母国の首相の名前を叫ぶとは・・・・・・。
彼らがどういう風に中曽根首相のことを知っているかは知らない。しかし、かつて歴代の日本の首相のうちで、このカイロの決して身持ちがよいとは言えそうにない子供たちの記憶の一つとなり、初対面のただの旅行者に向かって、笑顔でその名を呼ばしめた人がかつていただろうか。おそらく中曽根首相が初めてだろう。そして少なくとも中曽根首相が悪い印象を与えていないことは彼女たちの表情から明白だ。
中曽根首相の外交達者ぶりは日本を出る前の数ヶ月間だけだが知っていた。しかし、あのテレビ番組のアメリカ人ジャーナリストたちの記憶がまだ鮮明に残っていた自分には、この子供たちがNakasoneという名を知っていることなど、とうてい想像もつかないことだった。それだけに、この時はまさに感慨ひとしお。日本人であることに大いに誇りを感じた。
80年代後半、日本はいまや少なくとも経済的には押しもおされぬ世界の超大国になった。そのことはすなわち経済以外の分野にも外国の人々の目を日本に向けさせることになった。経済と表裏一体をなす政治の分野では、今後ますます日本に対し外国からの視線が向けられることとなる。
そして、その視線を最も熱く集める人間が疑いなく総理大臣たる人物であるならば、われわれ国民としてはある程度「見栄え」のする人物を総理に選ぶことが必要になってくるのではないだろうか。
「見栄え」がするというのは、外交の舞台で最上のマナーをもって堂々と自国の国益を述べることができる、という意味である。それは世界の人々が注目する外交ショーの出演者として十分にたえうる人、といってもよい。
「バカヤロー、政治というものは・・・・」という罵声が飛んで来そうだが、これはいままで2年と数ヶ月、何の社会的なバックグランドも持たずに各国を渡り歩いてきた自分の真っ正直な思いである。
日本が「図らずも」これだけの経済力を見につけてしまった以上、先の大平氏や鈴木氏のように、どこか田舎町の農協の理事長然とした容貌を持ち、外交の舞台では通行人Aを演じることしかできない人物が、日本の国益を守るために国際世論を動かせるようになるとは自分には決して思えない、
それに日本との付き合いが深い、米、英、豪といった英語圏の国々では、国民は他を圧するような、堂々とした見栄えのする人物というものを信奉する傾向が非常に強いと思う。レーガンしかり、サッチャーしかり、オーストラリアのホークしかりである。そんな国々の国民に対して何かを訴えかけようとするならば、やはりそれなりのインパクトと説得性を持ちうるだけの人がどうしても必要になってくるのではないだろうか。
非常に軽薄なようだが、これからの日本の総理大臣にはやはりある程度の見栄えのする人(カッコイイ人といってもいい)を選んでいく必要がある。回りまわってアフリカ大陸の東端にいま身を置いて、そんな風に感じさせられた一日だった。
このあとオレはモスクの周りをもう少し見てみようと腰を上げた。すると子供たちもみんな後ろに列を作ってついてきた。ちょっとオシャマな女の子はオレと手をつないで歩きたがる。
オレは彼らに手を引かれるままに、そのあと夕方までモハメドアリモスク周辺を見て歩いた。20人を越える子供とゾロゾロと行進するオレは遠足で生徒を引率する完璧な小学校の先生になっていた。
日が暮れるころカイロ中心部へ帰るためバスに乗る。その夜は身体の中を何か温かいものがずっと流れているのをオレは感じていた。
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