1987年7月C日

モシャーフ、ラモットはゴラン高原の南端、ガリラヤ湖の東側の山の斜面にある。スデ・ニツァンより少ないファーマーの数ながらスデ・ニツァンよりやや広い耕地面積を持ち、フルーツを中心に栽培する農業モシャーフである。またラモットは副業にリゾートホテルを経営しており、そちらの方でもかなりの収益を上げている。
山の斜面に作られているため、夜になると住居区からはガリラヤ湖越しにティベリアの町の宝石箱のような美しい夜景が鮮やかに鳥瞰される。平坦な砂漠の真っ只中にあったスデ・ニツァンとは比べようもない素晴らしい景観に恵まれたモシャーフである。
ここゴラン高原はイスラエルがシリア、レバノン、ヨルダンの3国と国境を接していて、言わば永年の紛争地の真っただ中だ。東側に山があるが、その山越しに大砲の低い演習音が時おり響いてくる。そして軍用の飛行機やヘリコプターも頻繁に上空をかすめていく。イスラエルがほぼ恒常的に戦時下にある国であることが改めて強く思い知らされるロケーションだ。
ここではエイタンというイスラエル人のファーマーについて働くことになった。いつも笑顔を絶やさず、周りの人に気をつかうエイタンは誰からも好かれる人のようだ。
彼は離婚した奥さんとの間にできた子供二人とガールフレンドのダリと一緒に住んでいる。この国もオーストラリアと同様アメリカの影響を強く受けているせいか、離婚率がかなり高いようだ。そして、ガールフレンドと結婚せずに同棲するという習慣も、米、豪と同じように定着している。Sexは生活の極めて本質的なものという考えがその基本にあるのだろう(当たり前か)。
ここでの仕事はバナナの皮切り、ぶどう狩り、マンゴ畑の手入れなど。作物はフルーツばかりである。もうすぐマンゴの収穫時になるとかで、エイタンがいう「世界一うまい食べ物」であるマンゴを食べるのが今から待ち遠しい。
このゴラン高原周辺では、スデ・ニツァンのあったネゲフ砂漠ほど気温は高くは上がらない。しかし標高が海面下にあるせいか、周りを山に囲まれているせいか、湖のそばにあるせいか、湿度が非常に高い。
夜になってもクーラーのないボランティアの部屋では寝つくのは7月初旬のいま容易ではない。ゴラン高原の夏はまだまだこれからだというが、まったく先が思いやられる。
スデ・ニツァンではボランティアのための居住区があったが、このラモットではボランティアは各ファーマーの家のすぐ隣りの小屋に住む。エイタンにとってオレは初めて雇うボランティアとかで彼は小屋を持たず、オレは彼と親しいアムランという別のファーマーの小屋に住ませてもらうことになった。
オレが住む小屋は10メートル×6メートルぐらいの広さで、バスルーム(トイレとシャワー)とキッチン兼リビングルーム兼ベッドルームとの二つの部屋に区切られ、一人で住むにはなかなか快適だ。隣りのファーマーが飼う約50頭の牛たちの「生活の臭い」が鼻をつくのには最初閉口したが、住めば都の言葉通り、慣れれば慣れるものである。
あと面白いのは、オレの住むこの部屋が海抜マイナス50メートルぐらいのところにあるということ。ガリラヤ湖の湖面がマイナス200メートル以下で、われわれが働く農場のほとんどはガリラヤ湖畔にある。つまりラモットでの生活はほとんど海面下でということになる。
ガリラヤ湖からヨルダン川を通って南へ水が流れているが、その注ぎ先が海抜マイナス430メートルの死海という地理的な位置関係にある。
かといって、別に生活全般に何の変化があるわけでもない。ただ、とんでもないところに住んでいるという陳腐な自己満足が得られること、そして突然大地震がやってきて、この低地一帯へ地中海の水がどっと流れ込んでくるんでは、などという妄想にときたま襲われたりすることが、変化といえば変化かもしれない。
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