G-49 孤独な日本人ボタンティアのイチロー

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1987年7月F日

日本人ボランティア, 孤独

 このラモットでもボランティアは圧倒的にイギリス始め旧大英帝国出身者が多い。総数約40人のボランティアのうち、あいも変わらずイギリス人をトップに、オーストラリア人、南アフリカ人、ニュージーランド人の順で集まっている。非大英帝国からはオレとスペイン人二人とスイス人一人だけ。よくもまあこれだけどこへ行っても同じような国からのボランティアばかりと顔を合わすものだと感心する。

 ここでもスデ・ニツァンと同じように英語が当然のごとく会話の共通語となり、非英語圏のオレたちはどうしてもスミに追いやられてしまう。英語さえ話せば淋しさは感じないが、歴史的、文化的背景が決定的に違えば、その間にはどうしても一枚の壁ができるものだ。やはりマイノリティとは「損」な立場だと思わざるをえない。

 オレ自身はこのイスラエルで大使館の人以外に日本人とは会ったことはないが、いろんな人の話によるとキブツに入った日本人ボランティアたちはこれまで何人かいたらしい。だが、その多くはかなり気の毒な状況に置かれているようだ。

※テルアビブのモシャーフのボランティアセンターの人は、日本人がモシャーフのボランティアになったのはオレぐらいしか知らないと言っていた。

 オレが思うには、やはりどうやらそれは彼らが日本語以外にヘブライ語も英語もフランス語もドイツ語もできず、誰とも十分にコミュニケーションができないからのようだ。

 エジプトで会ったあるスイス人の女の子がこんなことを話した。

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 あのね、私たちのキブツにイチローという日本人の男の子が一人いたの。だけどね、彼、気の毒に日本語以外ほとんど何語も話せないのよ。私はドイツ語とフランス語と英語とイタリア語ができるけど、彼はそのいずれもダメだったのね。

 私たち20人のボランティアの中には日本語のできる人なんていなかったし、彼は誰ともコミュニケートできなかったわ。だから、彼はいつも孤独でポツンと一人でいることが多かったの。

 キブツに集まってくるボランティアはみんな楽しみを求めて集まって来ているのよね。つまり、みんな3ヶ月から6ヶ月の休みを取って、母国での繁雑さから開放されて、小さなコミュニティの中でみんながみんなをいたわり合うような生活の心地好さを求めて集まって来ている人がほとんどなのよ。

 だから、イチローが入って来たころはみんなで彼を一人ぼっちにさせまいと思って、いろいろと気をつかったわ。ハイキングに行った時も、バレーボール大会をしたときも、私たちは彼になんとか淋しさを感じさせないよう、最大限の注意を払ってきたの。

 だけどね、ケン。それも限界があったわ。彼が来て1ヶ月がたったころぐらいから、みんなもう疲れちゃったのね、彼のことをかまうのに・・・・。

 彼は英語の単語を少し知っていたけど、英語もほとんどうまくならなかった。それに彼はいつも無表情で、私たちは彼がいったいどんなことを考えていたのかさっぱりわからなかったの。

 わかるでしょう、ケン?彼には気の毒だけど、イチローはホントにエイリアンのようだったわ。南アフリカ人のボランティアの中には、「あんなふざけたヤローはブッ飛ばして、追い出してやる!」なんて言う人もいたぐらいよ。

 私たちがあのキブツを出たころまだ彼はいたけど、今ごろどうなってしまったのかしら。日本へ帰ってしまったかもしれないわね。あの子、完全に一人ぼっちだったから・・・・・。
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 ほかの人から聞いたところでは、日本人のボランティアたちは大なり小なりこのイチロー氏と同じような状態にあったようである。

 実際、なんで彼らがこの中東の孤島イスラエルくんだりのキブツまでやってきたんだろう?

 考えるに、理想的な社会主義コミュニティとはいかなるものかを確かめに来た、などという高尚な目的を掲げてやってきた人もいるだろう。またヨーロッパを旅していて金欠になり、おカネがなくても生活ができるキブツに逃げるように流れてきた無鉄砲なビンボー旅行者もいるだろう。

 だが、簡単に推測できることながら、たいへん気の毒にも彼らはとてつもなく大きな寂しさや無力感に悩まされていることは間違いないだろう。ほかの人たちみんなが楽しそうにしているのを傍目に見て、自分だけその輪の外側にいるなんてあまりにも辛い。

 シンガポールのホステルのテレビ室で誰とも話をせずひたすら文庫本を読んでいた日本の若者と、そのキブツにいる誰ともコミュニケーションできないイチロー君は二人ともとてつもない淋しさの中にいるはずだ。

 だが、一つの場に文化の異なる周りの人たちと協調しながら生活していくために、彼らはあまりにもその用意を欠いたていた、またはその意思を欠いている、と言わざるをえない。

 ある集団において、ある個人が他の人々と比して際だった不利性をもっている時、その個人はほぼ間違いなく孤立する。不利性とは、人種が違う、特異な宗教・イデオロギーを信奉している、コミュニケートする手段を持たない、協調性がない、といったものである。

 特に他の人々とコミュニケートする手段をまったく持たない場合、その個人は他の人々にとってもう人間ではなく、犬や猫や鳥とまったく同じであって、決して他の人々と「人間」として溶け込んでやっていけない。

 なんの学問的な知識を持たないオレがこんなに断定的なことを言うのは多少気が引けるが、これまでの旅を通してそれは文字通り体感しえた明白な実感であり、真実だと信じてオレは疑わない。

 モシャーフ、キブツといった社会心理学の格好の実験場に身を置けば、それは誰もが自然と納得できるようになる。

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