1987年7月A日

テルアビブの電話局からノルウェーの魚工場へ国際電話を入れた。10米ドルも払ってのトライだったが、
「ごめんなさいね、ちょっといまは無理です。8月中頃には空きがあるかもしれませんが・・・。」
との向こうの女性事務員の返事。
あーあ、まだまだこのイスラエルからは開放させてもらえないようだ。
サイフの中身は50米ドルを切った。テルアビブに残るか、それとも大きな保養地の町エラットへと南下してみるかと考えてはみるものの、どっちにしようがしょせん得られる仕事はレストランのウェイターかホテルの部屋掃除だろう。
持ち金も少なく決断を迫られたオレはもうひとつ他のモシャーフへ行ってみることをここで決心した。
テルアビブの日本大使館から歩いて5分ぐらいのところにあるモシャーフボランティアセンターへとおもむいた。
そしてそこで紹介してもらったのが、イスラエル北部ゴラン高原の南端、ガリラヤ湖の東側の山の斜面にあるモシャーフ、ラモットだった。
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