1987年4月H日

ジムの働きぶりはまったく非日本的だ。やつが21才と若いせいかもしれないが、時間には5分、10分遅れようがおかまいなし、小言をマイロンに絶えず言いまくる、終わり時間の前30分になると仕事がまったく雑になるetc.。はたで見ていると、あたかも被雇用者であるジムが雇用者であるマイロンを「敵」と見なしているかのようだ。
ジムは納得いかないことを指示されると必ず「Why?」と聞き返し、その返答がまた納得いかないものであれば、さらにマイロンに食い下がっていく。
日本では被雇用者があれほど雇用者に挑戦的な態度になることはまずありえないだろう。日本では下の者が上の者に向かって、その仕事の意義を正し直すなんてことなどは非常に稀なことだと思うからだ。
それほど高い教養を受けているとは思えないこのイギリスの若者一人を見て、日本以外の国すべてを一般化するわけにはとてもいかないが、この一件からも外国へ出ていって現地の人間を雇うということは、並々ならず困難なことだろうということだけは十分に推測される。
ソニーやホンダが日本企業の海外での成功例だとしてよくあげられるが、果たしてどうやってジムのような連中を丸め込んでいったのだろう。彼らが経験した計り知れぬほどのカルチャーショックや解決策をとっくりと聞いてみたいものだ。
1987年4月I日

今夜もバーがオープンしている。だが、いまだにどうもやつらの中へはしっくり溶け込んでいきにくい。バー内ではあいも変わらずイギリス人始め大英帝国の旧植民地国(オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、カナダ、そしてアメリカなど)出身のやつらが大騒ぎだ。ジムなどこの瞬間のためだけにオレは生きているんだ、と言わんばかりにノリまくり踊りまくる。
そして現在、このスデ・ニツァンには、オレの他にもデンマーク、メキシコ、スウェーデン、オランダ、ポルトガルという大英帝国以外の国々からもボランティアが集まっているが、どうも彼らもオレと同じような思いをしているらしい。
デンマーク人のヤンツは今年30歳になるもの静かな男だが、いつもやつはバーのカウンターの一番奥でビールを2缶飲むだけで、周りの大騒ぎには決して加わろうとはしない。
「ヘイ、ヤンツ。あんたは踊らないのかい?」
「いいや、オレは踊りはダメだ。ケン、あんたこそ踊ったらどうなんだ?」
「いや、オレも・・・ちょっとね・・。」
という会話は、この3週間バーで会った時のオレたち二人のお決まりのあいさつだ。
ポルトガルの2人の女の子はこのモシャーフに来た初めての日にバーへやってきたが、それ以降はまったく姿を見せようとはしない。自分たちのキューブで他のボランティアとダベルだけだ。
オレはといえば、ここへ来てひと月以上たったということで、ほとんどのボランティアとは顔見知りになった。しかし、やつらの大騒ぎに中に飛び込んでいこうという気はなかなか起きず、ヤンツとバーのカウンターでヒソヒソ、あるいは自分の部屋で英字新聞を読んだり、人から借りたカセットテープを聞いたりということが多い。
こういう状況をみていると、英語を母国語とする人間とそうでない人間とでは、やはりどこかに隔たりがあると思わざるをえなくなる。同じ白人で英語をまったく不自由なく使っているメキシコ人のジェラルドやスウェーデンのジルなども、バーの中では片隅で小さくなっているだけだ。
おそらく彼らもやつらの習慣は自分たちの国とはエラく違うわいと思いながら、大英帝国主導のバーひいてはこのモシャーフ全体の雰囲気を感じていることと思う。
そして、オレにとっては習慣の違いだけが溶けこめない理由ではない。やはり人種の差というやつを感じざるをえない。これはここへ来て以来ずっと感じていたことだが、いわゆる「白人」の容貌を持つ人間とオレのような東洋人の容貌を持つ人間との間には、やはり大きなミゾがあるように思う。
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