G-36 オアシスと下痢とブルース・リーその2

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1987年6月B-2日

子供, ゾンビ

 だが、このエジプトではどっこい物事は普通の展開にはならない。オレが100メートルほど歩いたところで、そのうちの何人かが自転車に乗って追いかけてきて、歩きながらまたあの手の質問を始めた。

「カラテとボクシングではどっちが強いんですか?」
「知らないよ。」
「イスラム教徒のモハメド・アリを尊敬しますか?」
「まぁ、なんとなくね。」
「ブルース・リーより強い日本人は誰ですか?」
「オレぐらいだな。」

 背中にまだ軽い痛みを残し、下痢の脱水症状をまだ多分に残したオレにとっては歩くのさえ多大の努力を要するのに、人と口をきくことにはこのあたりでもう拒絶反応が起こり始めていた。

「ナカソネはオーケイですか?」
「・・・・・。」
「レーガンは好きですか?」
「・・・・・。」

 もうしゃべる元気のないオレは、返事をすることもなくヨタヨタと明るい方へ歩いた。

 あるエジプト人が下痢の時には、バナナを食べた後でコカコーラを飲めばよいと言ってたっけ。バナナが胃の出口をふさぎ、コカコーラのコカイン成分が胃を収縮させる作用を及ぼすのだという。うつろな目でオレは世界共通のあのスカッとさわやかコカコーラの看板を捜した。

 人通りのない通りを2、3分歩いて、コカコーラの看板を発見。店にバナナはなかったが、さっきの食べ物にバナナの働きをいくぶん期待して、コカコーラを買って店の前で飲んだ。うーん、やっぱりスカッとする。

 ほっとタメ息ついて横を見ると、隣りの服屋の店の前のテーブルに置かれたテレビから英語のニュースが流れているのに気がついた。イスラエルを出て以来6日ぶりの世界はどれいかがなりや、とオレはそのテレビの前のコンクリートブロックにどっこいしょと腰を下ろした。

 アメリカアクセントを持ったエジプト人女性とイギリスアクセントを持った男性の伝えるニュースは、なかなかよく世界の出来事をカバーしていた(レーガン大統領が出て、わが中曽根総理がついにおでましにならなかったのが残念だったが)。同じエジプト人なのにアラビア語を話す時と英語を話す時では、英語で話す時の方がはるかに語調がきつくなるのがおもしろい。

 イスラエルでPLO(パレスチナ開放機構)がどうしたというニュースが出てきて、体を少し前に出してかがんだ時だった。突然誰かの手のひらがブラウン管の前でひらひらした。見上げると、それは先ほどの屋台で話しかけてきた子供の一人が、オレの顔を見てニヤニヤしながらテレビの画面を手で隠そうと悪戯していたのだった。

 やれやれと首を振りながら重い上半身を起こして見渡すと、なんと20人にならんとする子供たちがオレの周りを囲んで、またまた例のニヤニヤ。大きな目が全部こっちを見て笑っている。

 ニュースを遮られたオレはかろうじて平静を装って、そのひらひらとした手をどかせた。その子はそれをやめた。

 が、今度は別の子がオレとテレビの間に立って、オレの方を向いて「アレー!」とか「ソレー!」とか奇声を発しながら、手を上げ、足を上げ、踊りを始めた。

 オレは「このサルヤロー!」と怒鳴りたくなる衝動を再びかろうじて押さえ、「Out!(どけ!)」と指で指示して叫ぶと、その子もどいた。

 ここで周りを見渡すと、20人のニヤニヤがさらに高じてニタニタガハハーという感じに変わってきていた。互いに何か話している中に「ヤパーニ」とか「ブルース・リー」とか「カラテ」とかの言葉も混じって、彼らがオレに異常な興味を示していることがコワイほどわかる。

 少なくとも日本という国あるいはオレ自身が悪い印象を持たれていない様子であったがゆえ、オレは平静をできるだけ保とうと努力した。だが、下痢はしていても腹は立つもので、勘にさわる態度をこらえるのには多大の努力を必要とした。

 そしてその次の瞬間、一番背の低い子供が大声で「ハロー、カラテ!」と叫んでテレビのスイッチを切った時、オレはこらえきれずとうとうその場を立った。20人のニタニタガハハーをかき分けて、ホステルへと向かう。

 そして、そこからホステルまでの約200メートルの道のりにも、彼らはまだまだオレにつきまとう。

「ブルース・リーは・・・・?」
「マラドーナは・・・・・?」

 もうやめてくれ!頼むからほっといてくれ!

 オレの体に触れんがごとくに、身を寄せて話しかけてくる約10人の子供たちがゾンビの群れに見えてくる。そんな彼らの相手ができる気力・体力共になくしていたオレは完全に無言で無視した。

 ホステルへ入るドアの前では、オレはツバを地面に吐きかけていたようにも思い出す。下痢で痛む腹を摂氏120度にまで煮えたぎらせていたオレは、彼らにこの時大人としてあるまじき悪態をついてしまっていた。

 彼らがオレに対して何の悪意も敵意も持っていないことはわかる。彼らがただオレと何かの形で遊びたいと思っていただけなんだということもわかる。それに彼らはほんの10才前後の子供に過ぎないこともわかる。

 しかし、しかし、
「これ一体どうなってまんねん?」
「この子ら一体、なにもんやねん?」
「オレ一体どうしたらええねん?」
「あいつらの頭の中、一体どんなもんが詰まっとんねん?」

 部屋に戻ると、これらの問いがオレの頭の中を嵐のように駆け巡った。

 コカコーラの効き目はまったくなく、ベッドの中でのこの一夜はまさに悶々の世界。腹は痛み、背中は痛み、脳ミソはまさに嵐の中の竹トンボのように、舞い上がり舞い落ち続けた。

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