G-41 スデ・ニツァンに戻る、が、運命の女神はいまだ微笑まず

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1987年6月F日

カネがない

 文字どおり極めていみじき2週間余りのエジプト旅行を終えてイスラエルに戻り、再びモシャーフスデ・ニツァンへと帰ってきた。だが、運命はいっこうにオレの方へはなびいてこない。

 フィリピンの日本大使館から待ちに待った手紙が届いていた。だがそれによると、なんと彼らはヨリコさんからの便りを受け取っていないという。

 フィリピンは小包郵便がマトモに届くことがほとんどないといわれるぐらい郵便物の安全度が極めて低い国だとは聞いていた。となれば小切手と手紙とでいくぶんふくらんでいたかもしれないヨリコさんからの封筒は、途中のどこかで行方不明になってしまったということなのか。

 いずれにせよ、フィリピンマニラの日本大使館はこの小切手については係わりがないことがここではっきりした。

 エジプトから帰って、いまの持ち金全財産は再び80米ドルほどにまで逆戻り。はたしてこのイスラエルにいつまでいることになるんだろう。出す声もなく途方にくれる。

 ちなみにカネもないのにバカのんきにエジプトを旅してきたことになるが、それが誤りだったとは全く思わない。あれほど天変地異のような出来事が連続的に降りかかる経験はエジプトに行かない限り絶対にできなかった。しかもわずか数百ドルで。ものの価値はカネの額の多寡では計れないのだ。

 小切手については、オーストラリアの銀行に手紙を書いて、まだあの小切手が口座から引き出されていないかどうか確認し、もしまだ引き出されていないようなら、こっちの銀行まで転送してもらうよう依頼する、という方法を試してみれば、とのアドバイスをオーストラリア人ボランティアから受けた。

 その方法がうまくいくかどうか不明だが、他に術は自分には思いつかず、もうそれにすがるしかないと判断し、銀行へ泣きつきの依頼文を必死で書いて送った。

 少なくともあの1000豪ドルさえ入手すれば、このイスラエルから他の国には出て行ける。手紙を郵便ポストに投函したあと、オレはポストに向かって約30秒くらい合掌し、キリスト教徒のように胸で十字を切った。

 また、ノルウェーの魚工場へは少々高い国際電話代を覚悟してでも、きっちりと確認の電話を入れるべきだろう。まったくバカバカしい大きな出費だが、もしOKならば誰かから借金してでも行く価値は十分にある。

 現在のオレにとってはノルウェーでのその仕事を得ることが、この先のための軍資金を手っ取り早く稼ぐために何をさておいても絶対に必要だ。

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