西ドイツから車の相乗りでヨーロッパを陸路で横断しトルコまで行ったあと、ロードス島、キプロス経由の船でイスラエル到着。
ラッキーにもイスラエル入国と同時に1つ目のモシャーフにて滞在開始。パレスチナ・ガザ地区との国境近くのネゲフ砂漠にある農場型モシャーフでの小さな国連のようなボランティアの世界に戸惑いながら少しづつ慣れていった。
エジプトで3週間の旅は奇想天外・驚天動地の出来事の連続。世界最古の文明の痕跡、イスラム教の強い影響下の人々の暮らし、スエズ運河横断、サハラ砂漠のオアシス、紅海のリゾート、超フレンドリーな人々や物乞いをする人々との対話などを五感で味わい、いと複雑な心境に。
イスラエルへ帰り、北部ガリラヤ湖東部のゴラン高原の丘陵地帯にある農業と観光業を柱とする2つ目のモシャーフにて滞在。英語圏からのボランティアが多く、あまり馴染めず凹んだ日々。
ここでの滞在約半年はオーストラリアにある小切手を受け取るトラブルとの格闘が続いて、苦しい思いをした。だが持ち金がほとんどなくてものバカみたいにほほんと生きてある意味強さを確立した時期でもあった。
このイスラエルとエジプトでの半年間では、以下のような他でできない経験をした。
パレスチナ・ガザ自治区近くのネゲフ砂漠にある農業型モシャーフ「スデ・ニツァン」で1つ目のモシャーフ生活
世界各地から来たボランティアたちとの共同生活や農作業
オーストラリア政府からの税金還付金で作った小切手が手元に届かず、オーストラリアの銀行やフィリピンの日本大使館などへ手紙で連絡し、ようやく受け取った
3週間のエジプトでの旅はこれは夢か現実かと目をむくような経験の連続。古代文明、イスラム教の生活、貧しさ、純朴さ、自然の美しさ、などに感動、立腹、驚愕、絶望、など激しく感情が揺さぶられた
2つめのモシャーフは北部のガリラヤ湖東斜面のゴラン高原にある「ラモット」で、素晴らしい景観のリゾート的な生活・労働環境
モラットでは大英帝国出身のボランティアがほとんどでネイティブ英語話者ではない者は疎外され、面白くない日々。あまりに腹が立って、当時の中曽根総理大臣あてに手紙を書く
会ってふた言目に「オレの妹と結婚しろ!」と言ってきたパレスチナ人
持ち金現金がたった7米ドル(当時のレートで約1,000円)になった

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