G-30 イスラエルでの「初旅行」はめちゃくちゃ爽快

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1987年5月J日

兵士

 これまでの2年数ヶ月の旅の中で、昨日のスデ・ニツァンからテルアビブまで乗ったバスほど、周りの景色に目を奪われ続けたことがかつてあっただろうか。

 ネゲフの果樹園や畑地帯から小さな砂漠を越えていくわずか4時間そこそこの旅だったが、あんなに気持ちが澄んでいくようなフィーリングを味わったのは久しぶりだった。

 といっても、その間に見た風景はこの世にまたとない美しさというものでも特になく、ごくフツーの田園風景だった。なんであんなに気持ちが昴ぶったのかと考えてみると、イスラエル入国以来、まる2ヶ月あの閉ざされた農場の外へ出れなかったということがどうもその理由のようである。

 テレビもなく、目に映るものは広さ180ヘクタールのモシャーフ内の風景とファーマーとボランティアの顔だけ。気晴らしは週2回だけオープンするバーと週に1回上映される映画のみ。

 そんな生活を2ヶ月半ブッ続けたあとそこを出れば、目に映るものすべてがこの世のものとも思えないほど新鮮に感じられたのも自然な現象なのかもしれない。

 ハイファの港で船を降りてそのまま車に乗せられまっすぐ非イスラエル人ばかりが住むスデ・ニツァンへと行くことになり、そのドライブのほとんどを寝て過ごしたオレにとっては、昨日がイスラエルの旅の事実上の初日だったといえる。

 漆黒の衣装に身を包み農作物を頭に乗せてゆっくり運ぶベドウィン族の女たち。頭のてっぺんに直径約10センチの小さな丸い帽子をかぶったユダヤ教徒の少年たち。黒い背広に白いシャツ、黒い山高帽をかぶり、ヒゲをのび放題にのばしているオーソドックスユダヤ教徒たち。それに地中海沿岸地方特有のあの情熱的な目を持った女性たち。バスの中といわず外といわず、昨日は見るものすべてが新鮮かつ不思議だった。

 オーストラリアを出てから約7ヶ月の間、シンガポールのベンクーレンストリートで2週間いたのを除くと、ほとんど休むことなくアジアとヨーロッパを歩き回ってきた。オレの旅はすでに惰性となってしまっていて、ハイファの港に着いた時には、好奇心と感受性とを自分は持続できなくなっていたのでは、と今になって思う。

 やはり1年を越えるような長旅には、どこか1ヶ所に腰を据えて、感受性を十分にチャージして、新たな気持ちで旅を進め直すことがとても大事なのかもしれない。さもないと地球上どこへ行っても感動できなくなっていく。

 そして、昨日、何よりもここがイスラエルなのだと実感したこと。それはバスの中といわず、町中といわず、国じゅう至る所で目にする、あのおびただしい兵士の数である。

 道路上のあちこちにヒッチハイクする兵士が立っていた。彼らはみんな一様に肩に銃を担ぎ、戦闘服のそでをまくり上げて、ドライバーたちにサインを送っていた。

 ヨーロッパでは右手の親指を真上に立てるのが「ヒッチハイク求む」のサインだが、このイスラエルではそれは「ブッ飛ばすぞ、このヤロー!」という意味になるそうだ。ここでは人指し指を下に向けるのが正しいサインである。

 またカネの少し余裕のある兵士はバスに乗り込んできたが、男も女もみんな銃をそのまま持ち込んでくる。彼らのなかにはそんな格好で銃を担ぐより、ハリウッドかブロードウェイで役者の修業をする姿がはるかに似合うのにと思えるほどの絶世の美女までいる。半永久的な戦時国家。それがイスラエルなのだという事実が、ここにはっきりと見て取れる。

 徴兵制(この1980年代後半、世界中の国で徴兵制を取っていない国は自分の知る範囲ではごく小数である。先進国ではイギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダぐらいしかなさそう)を取るイスラエルでは女子も18才から20才までの2年間兵役に服す。

 そして男子は18才から21才までの3年間に加え、なんと60才になるまで毎年一年のうち1ヶ月を兵役に服す義務いわゆる予備役の義務を負っている。

 大まかな計算を試みると、このイスラエルでは総人口約4百万人のうち、20万人にならんとする兵士が常時従軍していることになる。つまり国民の5%、20人に1人が軍服姿で毎日を送っているのだ。

 シンガポールで知り合ったイスラエル人エレーズが一度だけ少し戦場でのことを話してくれたことがあった。やつも例に漏れず3年間兵役を終えその心と身体の疲れを取るため、ほかの多くの軍除隊後の若者と同じように世界へ旅に出たそうだ。多くは南アメリカを目指すらしいが、やつは日本とか東南アジアに長くいたという。

 兵役満期の3年が終わる数ヵ月前からは毎日ずっと除隊の日を数えるのが日課だったそうだ。除隊直前で不幸にも亡くなったやつもいたらしい。

 誰から聞いたか忘れたが、一度でも本当の戦争を経験した兵士は少なからずトラウマを抱えることになるらしい。そいつは平時に繁華街をのほほんと歩いていたときにパーンという車のパンク音が聞こえ、完全に反射的にその場からダッシュで道の端に横っ飛びで逃げて、そこで腹ばいになって頭を両手で覆ったことがあったよ、と真顔で言っていた。

 戦闘服や銃など目にする機会がめったにない国から来た者には、この国の人たちが兵役というものに対して、いったいどんな風に考えているのかなどとても想像もつかない。

 我が身を振り返り、それらと馴染みがないことは大変な幸運なのだということを喜ぶのみである。

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