1987年5月I日

昨日アメリカ海軍のボートがペルシャ湾でイラク軍のミサイルを受け、30数人が亡くなるという傷ましい事件が起きたが、今日このイスラエルではイスラエル建国以来、史上最大という空軍演習が行なわれた。
今日一日でネゲフ砂漠にあるこのわがスデ・ニツァンの上空を何百機のジェット戦闘機が飛んでいったことだろう。一日中あの忌まわしき爆音は絶えることなく鳴り響いていた。
近眼気味のオレにもはっきりと主翼下面の機体番号が読み取れるほどの高さで、編隊が次から次へと東から現われ西へと消えていった。演習とはいえ耳をつんざく爆音をたてて、うなりを上げながら真っすぐにこちらへ襲いかかってくる戦闘機というものに対して、カッコイイなどというような感覚は絶対に持つことはできないものだ。
戦闘機などというものは人を殺すための道具以外の何物でもないということが、あたりまえのことながら思い起こされた。
オレがイスラエルに来て以来、毎日毎日毎日この飛行訓練は続いている。はたしてこのイスラエルという国からこのクレージーな爆音と衝撃波振動がなくなる日が本当にくるんだろうか。中東のド真ん中、四面楚歌のこの国が防衛という最も非生産的な作業に国家予算の半分以上を割くという現状から脱出しうる時がホントに訪れるのだろうか。
きのこ雲が3つ、4つ空に伸びてすべてが灰になり、地球上の人類すべてが争いの愚かさを真に初めて身にしみたあとにしかそれはやってこないのだろうか。
あの狂ったような数の戦闘機の群れの下でまるまる1日を過ごしたあとでは、そんな悲観的な考えしか自分にはまったく浮かんでこないのだが・・・。
結局、この2ヶ月間スデ・ニツァンでオレには何でも気軽に話せるような友達はただの一人もできなかった。淋しいことだ。
モシャーフではキブツにあるといわれるようなメンバー、ボランティア各個人がお互い同士を温かくかばい合うというようなムードはなく、みんなはただ自分のことしか頭にない。
オーストラリアの砂漠の町カラーサでここよりもはるかに孤立した生活を送っていたオレだったが、アーノルドという高齢ながらもオレをよく理解してくれたマネージャーを身近にもって、自己を開放できない苦しさは味わったことはなかった。それにシンガポールのホステルで、誰からも相手にされなかった若い日本人旅行者ほど現在のオレは侘しい状況にはない。
だが、忙しさと疲労で他人のことなどかまう余裕のない人間の集まりの中では、見かけも違う、言葉も100%通じず(オレは生後20年以上日本のみで育った日本人が外国語(少なくとも英語)を母国語のように完全に話せるようになるのは一生不可能だと思う)、ものの考え方、習慣も違う人間などというものは興味の対象どころか、ただ人間の形をした動物、あるいは邪魔な存在にしか映らないのかもしれない。
東洋以外の国にいるといやがうえにも人種や言語、習慣について、周りの人たちとの違いを思い起こされるようになるが、このスデ・ニツァンにおいてほど、かつてそれを強く意識させられたことはない。
「地球は一つ、人類は兄弟」というフレーズを好む人たちが日本にいたが、1987年現在の世界はそんなナマやさしい関係にあるとは絶対にオレには思えない。
少し誇張と知りつつストレートに言わせてもらうと、現実の世界はおのれをまず中心に考え、それに馴染むようなものとまず手をたずさえ、それに馴染まないものを忌避するという、極めて原始的な欲望にまだまだ支配されている。
おのれに馴染む人種、言語、習慣を持つ人あるいは国のみを良きものとして受けとめ、持たない人あるいは国を悪しきものとして受けとめる。そんな姿勢を少しずつ崩していかなければ、先の日本人好みのフレーズ(おそらく世界の人々みんなも好きなのだろうが)の実現なんてとうていありえないことだ。
例えば、どこの国へ行っても絶対に英語でしか相手に話しかけないイギリス人、どこの国へ行っても絶対に自分たちのやることが世界一優れていると誇示したがるアメリカ人、フランス語を話す集団としか付き合おうとしないフランス人。
これらの国の人々がある集団のなかに入った時、彼らはそういった自分たちの姿勢に従順な者をまず取り込みにかかる。イギリス人の周りには旧大英帝国のやつら、あるいは表面的な礼儀正しさと慇懃無礼なイギリスアクセントを持った人々が集まり、アメリカのチカラ主義(オレの造語)・物質主義を信奉する人々はアメリカ人の周りに集まり、同じラテン語系民族である人々(イタリア人、スペイン人など)がフランス人の周りに集まる。そんなパターンはこれまで2年の旅でいやというほど目の当たりにさせられてきたことだ。
こういう風に分化した人々が時としていがみ合い、ののしり合う。同じヨーロッパを起源とするこれら3国でもこの調子であるのに、そういう現実に対して、日本に住む誰かが、世界はひとつで人類は兄弟なんだ、と叫ぶのを聞くのは実に空しい。
自分には日本の外務省が主催する国際会議や、地方自治体が開催したがる青少年交換プログラムなどは、この現実に対してまったくの単なるお茶濁し程度の遊びにしか思えない。本当に地球人類がひとつとなって肩を組んでやっていくには、もっと何か世界的な規模での抜本的な改革が間違いなく必要だ。
これを思うのも、すべて日本という国が自分には極めて孤立した国だとつくづく感じるゆえである。これまで2年以上もの期間で20ヶ国弱を回ってきたが、日本のいい部分悪い部分をある程度まで把握している国というのは非常に少ないことは強く実感した。
そして、日本に住んでいるのと同じような感覚でわれわれ日本人が生活できる国など、ほとんどないということも実感した。そしてこのスデ・ニツァンでも、さらにそれは強烈なまでに深く実感させられた。
1980年代後半の現在、日本は自身が打ち建てた経済の強さをもって国際的にその地位を確固たるものとした。しかし、このわれわれの現在の地位などは、自分にはただの砂上の楼閣にしか見えてこない。それはとりもなおさず、現在のわれわれの地位はあくまで経済力の後ろ楯があってのものであって、いったん経済力が衰えを見せ始めると、それはまさに激流に橋脚を流された橋が濁流に飲み込まれるがごとく、その地位はあっというまに崩壊していくのではないだろうか、と思わざるをえないからである。
あの第2次大戦を始めねばならなくなったのは、何よりも当時の日本という国が国際的に孤立したからだった、という理由によることを思い起こせば、日本が依然としていかに危険な状況に置かれているかがわかろうというものだ。
この現在の国際社会では、一国のみの力でその国の安定を図ることは非常に困難だ。日本のような国土の狭い国では、ほとんど不可能だといってよいだろう。つまりわれわれは国の安定のため、何時いかなる場合にもできるだけ他国との緊密な関係を保っていかねばならない運命に恒久的にある。
自分のような者がわざわざ繰り返すまでもなく、教科書やメディアや外交文書に出ている上記の論理に間違いはないと思う。だが、ここでそのためのアプローチが問題だ。
安定した国というのは、国際的に孤立していない国だということであろう。だが、孤立しないためには自分の理解者を周りに増やさねばならない。つまり、端的に言えば国際社会により多くの理解者を増やすことこそがその国を安定化させる最良の方策なのだ。
この地球上にあって、極めてユニークな存在たるわれわれ日本人にとって、国際社会に理解者を増やすということは、決して容易なことではない。それはこれまで2年の外地生活で、いやというほど思いしらされたことである。
しかし、なんとしてもあの大戦を絶対に繰り返すまいと誓うわれわれにとって、それを増やす努力はいくらやってもやり過ぎることは決してない。
外国での日本の理解者を増やすための方策、日本のファンを増やす方策、外国人の友達を増やす方策が、われわれの国でもっともっと真剣に議論されてもよいはずだ。
文字通りオレは「肌(ハダ)」で、それらをこのモシャーフ、スデ・ニツァンで学んだ。
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