1987年3月K日

男は無表情で尋ねた。
「日本人ですか?」
「はい。」
「このあたりで日本の方はあまり見かけませんが・・・。」
「ホント、見てみたいですね。」
オレは冗談めかして、しゃあしゃあと話した。
「あなたの行き先は?」
「イスラエルです。」
「目的は?」
「観光ですよ。できたらキブツにでも入ろうかと思っています。」
「どこかのキブツにあてはあるんですか?」
「シンガポールで知り合ったエレーズというやつが紹介してくれると思います(これはデマカセである。やつはまだオーストラリアでチンタラ生きているはずだ)。」
「その彼の住所をお持ちですか?」
「はい・・・、えーっと・・・・。」
オレは手帳をかばんから取りだして、エレーズの住所を見せた。
「なるほど・・・、そうですか・・・。」
一瞥して男は手帳を返す。
「ゆうべはどちらでお休みになられました?」
「この島のゲストハウスでですけど。」
「そこで誰か変わった人物に会いませんでしたか?」
「?・・いえ・・・、べつに・・・。」
男は相変わらず無表情かつぶっきらぼうに質問を続ける。
「そのかばんはあなたのものですね?」
「はい。」
「そのかばんの中身をいつ詰められました?」
「今朝ですけど・・・。」
「誰がそれを詰めこんだんでしょう?」
「もちろんボクです。」
なんでこんなにバカみたいな質問ばかりするんだろう?
「誰かに手伝ってもらいませんでしたか?」
「いいえ、とんでもありません。」
エー加減にしてくれや、まったく。
「昨日と今日、誰かから何かをプレゼントされたりしませんでしたか?」
「いいえ・・・、残念ながら・・・。」
まるでバカみたいな質問が続いたが、このあたりでオレはこの男がいったい何物であるか、何を目的としているか、うっすらとわかりかけてきた。
「ミスターハルナ。この地域が政治的に非常に難しいところであることは御存じですね?」
「ええ、少しは・・・・。」
「いいですか、もし万が一あなたが誰かに頼まれて何かを運んでいるのであれば、今すぐこの場でそれを出して下さい。」
オレは男の目がウルトラ大マジメなのを見て取った。
「いいですか、非常に残念なことですが、イスラエルへ行くすべての交通手段、飛行機、船、バスなどはイスラエルをよく思っていない人々によって狙われることが頻繁にあります。彼らは自分たち自身では直接行動を行なうことはなく、誰か第三者、主に旅行者を利用しようとします。わかりますか?」
「はぁ、なんとなく・・・。」
男は凄味すら加えて、さらに続ける。
「つまり、イスラエルをよく思っていない人々は旅行者に時限爆弾を秘かに持たせ、それを飛行機や船の中で爆発させようとしているのです。そのチェックをすべく、我々イスラエル政府は最新の注意を払っているわけです。わかっていただけますか?」
「はい・・・。」
「最後にもう一度。あなたの持ち物の中に不信なものはないと断言できますね?」
「・・・大丈夫です・・・。」
男はオレの目を鋭く覗き込んだ。そして一回肩をゆすったあと、パスポートを返してくれた。
「いいでしょう、ミスターハルナ。長くお時間取らせました。よい旅をしてくださいね。では・・・。」
オレは開放された。オレは振り向きもせず、船へとタラップを渡り、階段を上って、予約した番号の椅子席に座り込んで、大きく息をついた。
エレーズの口からは一言も出なかったが、やはりイスラエルという国を取り巻く環境は想像をはるかに越えるほど厳しいもののようだ。イラン、イラクやアフガニスタンといった他の中東の紛争国家の陰に隠れて、現在のイスラエルという国の問題はオレの頭の中ですっかりかすんでしまっていた。
そうだ。あの国はすべてのアラブの国々のギラギラとした怨念の的となっている「陸の孤島」だったのだ。イスラエルがエジプト、シリアというアラブの強国相手に戦っていたこと、ミュンヘンのオリンピックで不幸な犠牲者を出したこと、などの中途半端な記憶がこの時初めてオレの頭の中にぼんやりと浮かび上がってきた。あの制服男はまさにイスラエルの国民及び旅行者の身の安全を守るための守護兵のひとりであったのだ。
オレはこれからいついかなる事態が起こってもおかしくない地域へと身を乗り入れることになる。頭の後ろに緊張の糸が一本ピーンと張られた感触を覚えた。そして、窓の外のあの狂ったように美しい紫色の海が、急に何かまやかしの美しさのように見えてきた。
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